Message 代表挨拶

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最高の朝日と最高の音楽。そして、会場に落ちたペットボトル。’00年のRISING SUN ROCK FESTIVAL 2000 in EZO(以下RSR)でみられた一場面です。RSRでは、この年に初めて東京に本部のある国際青年環境NGO A SEED JAPAN(以下 A SEED JAPAN)による環境対策活動を実施。私を含め数十名のボランティアと共に実施しました。
実施後に東京のスタッフに言われた「北海道のフェスティバルなんだから、北海道の人の手できれいにしてよ」という「当たり前の一言」に共感した11人によって環境NGO ezorockが設立されました。
おそらく世界中の環境団体を探しても「ロックフェスティバルから生まれた環境NGO」というのは、珍しいのではないでしょうか?

それから’05年までは、A SEED JAPANと共に、RSRにおける環境対策活動を実施してきました。その間にスタッフが10名以下になるなど、団体存続の危機を迎えますが、少人数でも「RSRで最高の音楽を聞きたい」というモチベーションで乗り越えてきました。

そして、’06年に私が代表に就任し、現在の事務所を構えました。つまり、本格的にこの活動を「職業」として関わり始めた年です。それまでボランティアとして関わることが当たり前だった組織から「職業」となった瞬間です。いまだに始めてもらった給与は、現在でも受け取ったままの状態で保管しているほど、込み上げてくるものがありました。

’06~’08の3年間は、本当に試行錯誤の期間でした。すべてがはじめての経験であり、失敗と新しい発見の連続。ここではお伝えできないほどたくさんの人たちから支えながら、活動を展開してきました。
また、これまでは、「勢い」で活動を展開してきたが、最初は問題ではなかったことによる「歪」があちこちに現れてきました。そのため、2008年度は、傾いた組織の基盤を強化するために、半年かけて「環境NGO ezorockとは何のために存在している組織なのか?」という問いの答えを探し続けてきました。

その半年間の答えを表現するためにつくられたのがこのwebサイトです。

環境NGO ezorockは、50年後を創る団体を目指します。「持続的な社会」=「50年後の未来を考えた社会」と定義し、そのような社会を実現するためには、50年後に生きる青年層が「50年後はこういう社会にしたい」というビジョンを描き、その想いを社会に伝えながら、様々な人と共に実現に向けて行動を行っていく必要があると考えています。
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そして、環境NGO ezorockという組織そのものが、上記に挙げたような社会を実現するための「仕組み」となるように、日々変化をする「現在進行形」の組織作りを目指していきます。

すべては、50年後もそこに生きる人たちと一緒に笑っていられるように。
50年後も野外で気持ちよく音楽が聞いていられるように。
私たちは、「今」から行動を行っていきます。

環境NGO ezorock
代表理事 草野 竹史