【RSR特別企画】RSRオーガニックファームからのつぶやき vol.1

RISING SUN ROCK FESTIVAL(RSR)で、環境対策活動を展開するEarthCareの特別企画『オーガニックファームからのつぶやき』がスタートしました!今年の夏は、残念ながら会場でみなさんにお会いすることができません。しかし、そんな苦しい時だからこそ、私たちにできることを少しでもお届けしたい!そんな気持ちから、この企画をスタートさせました。EarthCareに関わる方々と主催者のウエス若林さんをお招きした対談の模様を、数回に分けてお届けします。
第一回目の今回は、1999年のRSR立ち上げまでの想いやエピソードなど、その原点に迫りました。

PROFILE

名前:若林良三(わかばやし りょうぞう)
所属:ウエス

名前:小林卓也(こばやし たくや)
所属:はるきちオーガニックファーム

名前:草野竹史(くさの たけし)
所属:NPO法人ezorock

RSRはひとつのまち

草野:今日はRSRオーガニックファームから「RSRオーガニックファームからのつぶやき」と題して、色々お送りしようと思います。残念ながら今年はRSRは中止となってしまいましたが、少しでも皆さんと思いを共有したい、少しでも元気になってもらい、また必ずあの会場でお会いしましょう!という気持ちをお届けする企画です。今日は、ウエス若林さん、はるきちオーガニックファームの小林さんをお招きして、RSRのアースケアについてお話していきたいと思います。よろしくお願いします!
若林・はるきち:よろしくお願いします。
草野:若林さん、もう今年のRSRに関して取材受けたりしてるんですか?
若林:取材系は全部メールでお答えしています。なかなかナーバスだし。今回は特にこんなことが全世界同時に起きているということが、長い歴史の中でみても、すごい年だなと思っていますね。
草野:そういう意味ではこの企画で、少しでも空気感だけでも、来年の開催までの間に、ある意味普段だったら見せられないところとか裏側の情報とかをお伝え出来たらいいのかなと思っています。
若林:最高ですね。どうしてもアーティストとかお客さんに視点がいってしまいがちなんですよね。よくみんながRSRはひとつの町って言ってくれるんだけど、町を作るには生産者がいたり、役場の人がいたり、それこそごみを処分をしてくれたり、区画を作ってくれたり、っていう人がいて、それが全員ちゃんと回っていないと成り立たないし。そもそも、どうしてアースケアというごみの分別を始めたかっていうことに遡るけど、そういった人たちがいるってことを、こういった企画で知ってもらえるのは僕的には嬉しいなと思っています。

草野:僕も、そこの、ある意味裏側みたいなところをお伝えできるのが、僕たちができる一番のことかなと思っているので、ぜひその辺りをお伝え出来たらと。あと、僕とか、はるきちさんもそうだと思うんですけど、RSRで人生が変わっちゃったみたいな話も。
若林:俺のせいじゃないからね(笑)
はるきち・草野:(笑)
草野:そういう意味では、フェスがあって人生がこうなったなと思っているので、そのあたりも話せたら楽しいかなと思います。

色んなファンが集まると、良い相乗効果があるんじゃないかって

草野:まずはやっぱり99年ですよね。そもそもRSRがどういう風に動き出したかっていうところと、やっぱりごみの話になっていくと思うんですけど、最初の年の状況を少しお聞きできればと思うんですが。
若林:僕はイベンターを22歳からやっていて。
草野:学生の時からですよね。
若林:そう、学生の時に企画をして、今のウエスに音響機材を借りに行ったときから。初めはね、自分の大学の中に4つのサークルがあって、それがみんなバラバラに動いてて、でも結構お互いに意識しあって、あそこはどうのこうのみたいなのがあった。だけど俺からすると、ジャンル関係なしに好きなミュージシャンとか、あいつ上手いなってやつとかがいて。みんなおのおの人気のあるバンドを抱えてたのに大学祭をやるってなったら、うちに来いここに来てくれみたいないざこざがあって。これ、4つでひとつにまとまったら、もっとみんな集まるんじゃないみたいなことを学生の時から考えていた。

草野:僕、今も若林さんから、人を繋げたり、一緒にやろうみたいな、そういう空気感じるんですけど。昔からそうなんですね。
若林:そうだね、人が集まると色んな考え方があるし。やってる人たちも色んな人に見てほしいわけだから、なんでそこに壁を作ってしまうんだろうみたいなのは元々思っていたのかもしれないね。25歳くらいで初めて、真駒内のロックサーキットっていう1万5千人くらい入る屋外競技場で、ほんとに単純にイベントをやった。当時は、ちょうど音楽産業も発展し始めてて、アルバムも100万枚売れるみたいな感じだった。イベンターってね、造語で、外国には存在しない言葉。プロモーターっていうのが、興行とかイベントとかの主催者って意味なんだけど。イベンターっていうのは、音楽業界でこの発想とこの発想を集めたら、色んなお客さんが集まって見せれる機会が増えて、知ってもらえるきっかけになるんじゃないかってことでイベントをどんどんやるようになったんですよね。要するにFMで音楽かけて知ってもらったりとか。あと、自分のワンマンライブだと自分のファンしか来ないけど、色んなファンが集まるとちょっと良い相乗効果があるんじゃないかって。その時は普通に、椅子を並べて、何時から何時まで決まっている席で見てください。前に出てこないで。ごみ箱はこちらです。みたいな感じだった。そして、どんどんポイ捨てされて、すごい山になって。終わったあとにバイト君と一緒にごみ拾いをしたり。そうやってきたんですね。

全部自由ですよっていうことに、カルチャーショックを受けた

若林:当時、ビデオを借りて見た、イギリスのロックバンド クイーンの有名なライブエイドとかってすごい人数なのね。これだけ人がいて、よく死人がでないなってくらい。区画なんてないわけ。だけど普通に、前に行ったら危ないじゃんとかみんな自分なりの立場で考えて、自分たちの責任でやっていて。こんなの日本じゃ無理でしょみたいな感じだったんだけど、97年にフジロックが立ち上がった。自由で何してもいい。しかも何万人規模って。「ほんとにそんなのできるの?日本で」ってところから始まって。当時はインターネットもないから、FMに送られてくる各レコード会社からの情報とか色んなところで知っていった。僕たちも当時、真駒内で1万5千人が指定された場所で縛られた形でってやり方でやっていたから、全部自由ですよっていうことに、価値観が180度違ってカルチャーショックを受けた。それから日本でも、日本人アーティストによるフェスをやろうよみたいな話になって、RSRが立ち上がったという感じですかね。
草野:RSR一発目の99年は、若林さんおいくつぐらいですか?
若林:今から21年前だから。33,4歳とかかな。

草野:実際にRSRやろうという動きから、99年に入ってくると思うんですけど。
若林:99年になって、まずは場所をどうしようかってことで。オールナイトでやろうぜっていうところがキーワードだったんで。当時は1日だったし、ワンステージだったし、とにかく全然シンプルなんだけど、やったことがないから、警察とか色んなことも考えたり色々したんだけど。とにかく場所探しだよね。まずは、盤渓どうだってみたいな話になって。フジロックは天神山でやってたんで、盤渓スキー場なら結構それに近いんじゃないかって。よし分かったって言って、まず音響機材を組んで音出してチェックしてみようってなって。周りに病院とか色んな施設があったから、スタッフが行って「これからこういう実験をするからもし迷惑だと思ったら言ってくださいね」って言って。機材を普通にどーんと組んで、音流したら、1分でやめてくれて言われて、わかりましたって言ってすぐに下ろして(笑)
草野:相変わらず無茶な(笑)
若林:とりあえずやってみなきゃわからないから(笑)で、色々探していった結果、今の石狩の樽川にたどり着いて。交渉して、そこでやることになった。その年、普通にコンサートの仕事もしてたはずなんだけど、RSRのこと以外全然覚えてない。
草野:それぐらい初めてなことで、みんながドキドキしながら本番迎えるみたいな感じですかね。
若林:何事もだいたいそうだけど、僕たちも入ったときはプロモーターって仕事があって、こういう会館借りたらこういう風にやってとかフォーマットが出来上がっていて、それになぞってやってた。もちろんその過程でいっぱい失敗もトラブルもあって、アップデートしていったんだと思うんだけど。RSRは、なんせやったことがないから、どうしたらいいですかって聞く人がまずいなくて。唯一聞けたのがフジロックの関係者だった。当時、とりあえず若気の至りでずーっとギンギンなものってイメージだったんだよね。始まった時から最後までギンギンみたいな。そしたらバカかお前はって言われた(笑)ここで一度ブレークで休ませろ。二回はブレークは入れろってすごい言われたね。あと、イギリスのグラストンベリーっていう、今年ちょうど50周年を迎えるフェスティバルの母って言われてるフェスがあって、そこで色んな考え方をインスパイアされたし、ずっと続けられる理由ってこういうところにあるんだなってアイデアをいっぱい見つけた。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
第二回目は、グラストンベリーでのエピソード、初めて迎えたRSR当日の話、そしてRSRオーガニックファーム「おかえりじゃがいも」には欠かせない、はるきちオーガニックファームの小林さんとの関わりにフォーカスします。

次回もぜひお楽しみに!