【連載|対談】ezorockers AYAKA KOBAYASHI~みんな同じでなくていい感覚があった

ezorockの『人』に着目したコラム第28回目は、2011年頃から学生時代にEarthCareなどに関わってきたきゃんです。ezorock20年を振り返る特別企画の第六弾として、活動中のターニングポイントと自身の変化について聞きました。真剣だからこそ感情的に、時には周りのメンバーと揉めながらも活動を作ってきたきゃんが”あの頃”のことを振り返ります。

PICK UP

✔ 活動をピンポイントで思い出すとハイエースの風景
✔ ファイティングポーズを取ってた気がする
✔ ezorockは心理的安全性のある組織だった
✔ 最初は価値観が違うという認識がなかった
✔ ezorockの活動や他の日常が混ざって変わっていった

PROFILE

名前:小林彩佳(こばやしあやか)
あだ名:きゃん
所属:公務員
出身地:東京
特徴:20年前は10歳。図書館に入り浸ってた。

名前:草野竹史(くさのたけし)
あだ名:タケシ
所属:ezorock
出身地:北海道札幌市
特徴:20年前は22歳。GEOでバイトしてた。

活動をピンポイントで思い出すとハイエースの風景

:きゃんは最近何しているの?
:働き始めて5年目で、今は都市開発の仕事をしています。楽しくやってますね。まちづくり系の仕事は関係者が多いので、まさに多様性のなかで仕事をしています。ezorockでやっていたようなことと近からず遠からずで、図らずもやってきたことが役に立っているような職場です。
:今日はターニングポイントをテーマに話していきますが、ezorockに関わってて、印象的だったこととか覚えていることある?
:ハイエースに乗って、みんなでRSRの会場に行く時のことを思い出す。会話を覚えているわけではないんだけど、楽しかったなって。ezorockの活動をピンポイントで思い出すと、大体ハイエースの風景だわ。
:それはおもしろいなあ!確かにハイエースはずっと活動と共にあるね。

:ハイエース好きだったな。特に助手席に乗ってる時。後ろの人たちは疲れて寝てるのさ。運転手は誰か覚えてないけど、「最近どうよ」みたいな話になるじゃん。活動していると色々揉めたりするし、本音を言いたくなったりするので、そういう話ができる空間としてよかった。意図的にメンバーを配車することもあるじゃん。例えば同じチームで同じ車に乗って、移動中にミーティングしちゃうとか。そういうのも効率的に時間を使ってたんだなと思うよね。
:いきなり面白いこと言ってくるな。確かにその通りだし、移動する時間って今でも超大事。活動の動機づけとか振り返りが行われるよね。助手席と運転席だけは、個人的なというかディープな話しても許される感じあるよね(笑)
:(声は後部座席にも)ちょっと聞こえてるんだけどね(笑)活動の帰り道なんか、特に興奮して喋るの止まらないもん。

ファイティングポーズを取ってた気がする

:それはあるなあ。面白いね。あと、RSRの作りこみの会議中にてる(ezorockメンバー)ときゃんが揉めた話も少し聞きたいね。バチバチしてたというか、あれってすごい大事だなって思うんだよね。納得できないから言い合うみたいなことが、最近なかなか起きない気がする。だから、あの頃はどうしてそういうことが起きたのかなって。あの時はさ、きゃんとてるはお互いに感情的になった訳じゃん。
:うーん、全体的に「言いたいことあるなら言えよ!」みたいな空気感もあったのでそれが後押ししていたし、私自身が血気盛んにファイティングポーズを取ってた気はする。19時に始まったミーティングが0時半くらいまでかかって、終電ある人は途中で帰るけど、終電がない私を含めたメンバーはその後も残って混沌とした会議を続けているみたいな(笑)ただ、今は私の中でも会議のあり方の認識が変わってきて、メンバーの大事な時間を提供しあってつくる会議なので、決められた時間内で終わるべきだと思っているけどね。私も活動を始めた1年目の時とかは、会議であんまり言うことないなって思ってたの。経験が無くて、よく分からないから言えないみたい感じだったのかな。で、どうやったら分からなさが解消されるかっていうと、やっぱりコミットしたり1年経験した後に感じた疑問や改善点が話せるようになったりすることかなとは思う。
:なるほど、それって大事なポイントな気がしてきた。自分で勇気振り絞って、初めて会議中に発言した瞬間って覚えてるの?

:うーん、なんとなく。何回もあったと思うけど、何を言ったかまでは覚えてない。例えば、RSRのブースをこうすべきだよねっていうのはさ、話しやすいじゃん。でもさ、ezorockでスタッフだけが給料が出ることについてとか、結局ボランティアってどういう価値があるのかみたいな議論している時の発言ってめちゃくちゃ勇気を出したと思う。私たちがボランティアやってる理由って何なの?という議論をしてたりしたよね。今思うと、ボランティアのあり方そのものについて、ボランティア本人たちで議論して確認していて、コミットの仕方がすごいと思う。

ezorockは心理的安全性のある組織だった

:それめっちゃ面白いな。NPOって色んな人の意見を聞いて運営するように決められているんだよね。人を集めて意見を聞けってめんどくさいんだけど、さっきのスタッフの給料の話とか「それってどういうこと?」みたいな話って、普段はみんなあまりしちゃいけないって思ってるかもしれないけど、本当は疑問なんだからしてもいいわけじゃん。そういうことをちゃんと土俵にあげられるのが、やっぱりNPOなんだなって思うんだよね。
:確かによく「何でもいいよ」とか「疑問に思ったことは出していいよ」って逐一言われていた。ezorockは心理的安全性のある組織だったと思うよ。だからこそ、私は発言できていたと思う。そういうところから湧き上がる議論って大事だと思うし、面白いじゃない?
:心理的安全性の中で、「あなたとは違う価値観の人がいる」っていうこともちゃんと伝えていかないと、自分のやっていることに賛同している人が集まればそれでいいってなってしまうこともあるよね。

最初は価値観が違うという認識がなかった

:確かに。最初の話に戻るけど、私がてるとバチバチしてた初めの頃は価値観が違うという認識がなかった。単純に、何故伝わらないのかが分からなかった。
:そうだよね。よくわかんないけど気持ち悪いみたいな感じ?
:その時はすごく怒ってるから「(自分は)なんで?こっちの方がいいじゃん!」みたいな感じだよね(笑)
:本当にその話は象徴的だよね。相手を深く理解するとか、自分でも何でこんな面倒くさいことに、感情的になってるんだろうとかも思うよね。そのあたりがezorock「らしい」感じがするけど。
:当時は、ただただ私の自己主張が強すぎて、意見を通すことに意地になってたっていうのもあるし、活動を何とかしたいっていう思いもあったし。色んな気持ちが複合的に混ざりあってそうさせてたんだろうなとは思う。
:いや、面白い話だな。やっぱりその辺は大事にしたいと思うな。

ezorockの活動も含めて他の日常も混ざって変わっていった

:じゃあ、最後にこれは大事だなと思ったポイントやターニングポイントはあるかな。
:ターニングポイントって難しい。なんで難しいかと思うと、ポイントじゃないんだよね。連続なの。徐々に徐々に何かが変わっていったから難しい。
:もう少し聞きたいな。ポイントでは喋れないんだけど、こういう動きをしてたみたいな話で全然いい。やっぱり時間が経ってから振り返ると”あの頃”っていう風になるのかな。「あの頃の感覚はこうだった」とは言えるんだよね。ポイントで一点に絞り込むというより、連続性が重要なんだよね。
:それこそ、30代になったからって何かが急に変わるわけでもないというか。29歳11か月31日と30歳0か月1日は違う人であり、でも連続してるんだよね。難しいけど、徐々に徐々に変わっていったし、それはezorockの活動や他の日常的なことが混ざって変わっていったんだよね。改めて考えると、ezorockには色んな人がいたよね(笑)価値観が違う人が混ざるからこそ合わないし、話していても意味わかんない!ってなる。でも逆にそれが心理的安全性にも繋がるというか。みんな同じでなくていいっていう感覚があって、のびのびと過ごしていたと思う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
今後も、ezorock20年を振り返る特別企画を続々連載していきます。

次回も楽しみにお待ち下さい。
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